そのI
松平日向守供養石碑
「西垂水YY掲示板」2006年8/19号掲載
山陽バス「霞ヶ丘5丁目」バス停、南へ約10m。
北向きの一方通行でしかも、バスが通る道に面しているせいか、
普段はよそ見せずにただ北を向いて通り過ぎていた道沿いに低い柵に囲まれ、
大事にされている石碑を見つけました。
1659年明石藩城主になった日向守松平信之は20年にわたる治政の間、
民事に勤め明石の鳥羽新田、大久保新田、西区の伊川谷の漆山新田、生田新田など開発し、
垂水の霞ヶ丘の雑木林台地も、この日向守松平信之の藩財政の援助で開発し、「垂水新田」になりました。
1679年に大和郡山藩主に転封され、1686年に下総(千葉)で没したのですが、
このことを知った明石藩下の新田の人々は、50回忌の1735年に日向守の供養石碑を建立しました。
名藩主であったことがしのばれますね。
↑ 由来の記された立派な建て看板もあり、大きな松が目印です。
<参考資料>「垂水郷土史」「西垂水散策マップ」
たるまっぷ
その@五色塚古墳
そのA舞子砲台跡
そのB万葉歌碑
そのCたルミナリえ〜?
そのD石谷の石窟
そのE舞子六神社
そのF石造宝筺印塔(遊女塚)
そのG舞子海上プロムナード
そのH孫文記念館(移情閣)
そのJ海神社
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