都会
生きている彼を最後に見たのは私だった 夕刊を配り終えてからの 主人の小言が不服だったのか 肩をはって荒々しげに店を出ていったのは 暗くなってからだ 翌朝 出勤しない彼を アパートに呼びに行ったが 部屋の炬燵の上には パン めざし 飲みかけの牛乳 週刊誌がちらばり たった今 出掛けたまんまの部屋だ
手分けして朝刊を配りおえ おそい朝食の後 新聞を広げた 社会面の下の方 たった七行ほどの記事だ 昨晩 西宮の国道で 自転車の人がはねられ即死 身長百八十センチ 年齢三十歳位 身許不明で困っていると 何故か気になる 彼は二十二歳だからと打ち消すが 垂水警察に電話する 垂水から西宮へ電話がつながり 県警から とにかく来てもらえないだろうかとの事で 私は軽い気持ちで一人で出掛けた
一月には珍しく暖かで明るい日差しだ 車窓からみる海は凪いで 水中翼船の白い水尾がはっきりと伸びていた 西宮に着いたら昼過ぎだったが そのまますぐ警察をたずねた 交通課の部屋は騒々しかった 生年月日 出身地 身長 顔形 病院と確認をとりあう署員 時間が経ってゆく 出されたお茶で一時の空腹は収まったが いらいらしてきた
「本当らしいな 会って下さい」とパトカーが用意され 私はパトカーに乗り 知らない町を走った 兵庫医大の裏口付近に止まり 車から下りる時 足がもつれてオーバーの裾を踏みつけ ころびそうになった
病院の受付で電話を借りた「やっぱり彼だったわ」電話のむこう主人の声が途切れた「連れて帰ります」その時はじめて泪が出た 私の子供のような彼 死体安置所から 霊安室へ 一人で線香をあげた 曲がった自転車 血のついた衣服 柩の蓋をずらして見た顔「まちがいありません」その一言が告げる重み 人違いであって欲しかったのに
高速道路を西に向けてライトバンは走った彼の柩と私 加害者のトラック会社の社長 昨日まで何の関わりのない者達が 今 同じ時間の中にいて 西に落ちていく太陽を 追うように走っている まぶしい落日で 運転手は 青いフロントガラスを 下ろした
慌ただしく夜がきて 四畳半のアパートの部屋で通夜をした 主人 私 同僚 加害者とその上司 葬儀屋から呼ばれてきた坊さん二年に満たない年月を不思議なめぐりあわせで結ばれた彼と私達 通夜の読経の合間に聞こえるのは 隣室の麻雀パイの音 向かいの部屋の甲高いステレオ 昨日迄 都会の家々に 新聞を配っていた若者が今日 その新聞に自分の死亡記事となって帰ってきたのに 人はそれを知らない 気づこうともしない 私は空腹と怒りで激しい眩暈に襲われていった
目次へ
次の詩
前の詩